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銅鐸博物館・弥生の森歴史公園
( どうたくはくぶつかん・やよいのもりれきしこうえん )
日本古代史の謎とされる「銅鐸」のルーツを探り、その真相解明にせまった博物館です。館内は、銅鐸の誕生から移り変わりまでについて興味深く説明しています。 また、隣接する「弥生の森歴史公園」には、竪穴住居や高床倉庫、赤米を栽培する水田などが復元され、つかの間のタイムスリップを感じることができます。
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近江「むかで太鼓」保存会
( おうみむかでだいこほぞんかい )
むかで太鼓、それは全国的にも有名な近江の伝説「俵藤太のむかで退治」から生まれたものです。 静かな里、豊かな田園風景から、残忍な大百足の出没、風雨雷鳴の音、戦いのシーン、そして喜びの村人たちの祭太鼓。 これらの場面を和太鼓、笛、鉦、そして新しいリズムとの組み合わせ表現しています。 1985年の結成以来、国内はもちろん、マレーシア、オーストラリア、アメリカなど海外にも遠征し、演奏活動しています。 現在、男性グループ、女性グループ、中学生・小学生グループ約40名が活躍しています。
兵主太鼓保存会
( ひょうずだいこほぞんかい )
800年以上の歴史がある兵主太鼓は上り、下りのリズムの打ちわけがあり、これを兵主太鼓保存会が伝承しています。各地のイベントで公演し、会場を盛り上げています。最近ではバリ島での太鼓交流も行っています。
妙光寺山磨崖仏
( みょうこうじやままがいぶつ )
妙光寺山の北側の山すそに露出する巨大な岩に刻まれた高さ160cmほどの地蔵菩薩立像。地元の人々は「書込地蔵」と呼んで親しんでいます。「元亨4年(1324年)7月10日の造立、大願主経貞」の銘が残る鎌倉時代の作で、足に沓(くつ)をはいている大変珍しいものです。 なお、9月下旬から11月中旬までは松茸狩り期間で入山することができません。
福林寺跡磨崖仏
( ふくりんじあとまがいぶつ )
静寂な笹原の地に、ひっそりと横たわる岩に平肉彫りされた高さ約45cmの地蔵立像が13体あります。これより更に、東方へ数メートルのところには如来像2体と観音立像1体が刻まれています。どちらも室町初期の作とされ、観音立像は最も美しい姿をしています。
天保義民碑
( てんぽうぎみんひ )
飢饉にあえぐ天保13年(1842年)、10月15日、不正な検地をしようとした役人らに抗議するため、三上村庄屋土川平兵衛らが先頭になり、農民とともに一揆を起こしました。その結果、「検地中止書」を書かせることに成功しましたが、平兵衛らはとらえられ、拷問の中で厳しい取調べが続き、亡くなりました。農民のために命を賭け、天保一揆を成功させた平兵衛らの偉業をしのぶ保民祠や碑が建っています。また、休憩所などを備えた天保の熱(ほとおり)広場も近くに整備されています。 毎年、10月15日には、犠牲者の霊を慰める天保義民祭が天保義民碑前で行われています。
近松家住宅
( ちかまつけじゅうたく )
忠臣蔵で有名な赤穂浪士の一人「近松勘六」ゆかりの家です。勘六はこの家に姿を隠し、のち大石内蔵助とともに討ち入りにのぞみました。現在の建物は、江戸時代前期のものです。
北村季吟句碑
( きたむらきぎんくひ )
「祗王井に とけてや民も やすごおり」 北村季吟は野洲市で生まれた江戸時代の国文学者です。徒然草などの古典の注釈を手がけたほか、詩人としても有名で、松尾芭蕉の師匠として知られています。66歳で徳川幕府の歌学方に任命され、82歳で生涯を閉じましたが、毎年、命日の6月第2土曜日には、北村季吟顕彰俳句会が北村季吟句碑前で行われています。